江戸へ、希望へ!
源内が高松へ帰りついたのは、晩秋が初冬に移ろうとする、西風の吹く寒い午後だった。
「とうとう帰ってきた!」
源内は、希望に胸をふくらませて、船から玉藻城(たまもじょう)を仰いだ。おそらく源内の生涯(しょうがい)の中で、この航海中ほど幸福な日日はなかったのではあるまいか。
波の高い九州(きゅうしゅう)の沖を走っているときにも、瀬戸内海にはいって静かな航海を続けているときにも、源内の胸は、同じように希望ではりさけそうであった。
(讃岐の国にも、西尾ご家老が待ちかねた砂糖が、これからはほんとうにできる!)
源内はうれしかった。
それはまた、玄丈の待ちかねているものでもあるが、その甘蔗はいま船底に横たわっている。しかも薩摩の甘蔗ではなく、本場の琉球の甘蔗なのだ。それも有名だ旧家である渡名喜家の選んでくれたものだから、琉球でも第一級の優良品にちがいなかった。
「玄丈がどんなに喜ぶか!」
玄丈の喜びはまた、ゆきの喜びでもあるにちがいない。早々に、ゆぎとは結婚して……それから西尾ご家老に懇願(こんがん)して、なんとか江戸藩邸勤務にしてもらうのだ。そして、そして……と源内の空想は、いくらでもふくらむのであった。
船が港にはいると、源内は荷物は船員たちにまかせて、自分では甘蔗の包みだけを持って、はしけに飛び降りた。
それから波止場(はとば)で人夫をやとって甘蔗をかつがせて、まっすぐに薬園へいそいだ。
薬園の畑には、力三がいた。源内の姿を見ると、畑の手入れをやめて走ってきた。
「これは平賀さん、ようお帰りなされました。」
力三は丁重(ていちょう)におじぎした。
「ああ、いま帰ったよ。みんな元気だったろうか。るす中、薬園にはかわったことはなかったろうか。」
「はい、いえ、ベつに……ご力三は、一瞬、暗い表情で顔を伏せたが、すぐにその顔をあげて、笑顔で答えた。−172− 「そうか、それはよかった。それで……池田くんは?」
「はい、池田さんは甘蔗園に泊りこみで、いま刈り取りの最中です。浜吉もそちらへいっています。」
「ほほう、あいかわらず熱心なことだ。じやあ、わたしもいってみよう。」
源内はすぐにも出かけようとしたが、力三は源内が人夫に持たせている大きな荷物を見て、たずねだ。
「そのお荷物は?」
「ああ、これは長崎みやげの甘黄の株だ。琉球から直接来た最優良品なんだ。すぐにも池口くんに届けようと思って……。」
「そうですか。それは池田さんが、さぞ喜ばれることでしょう。」
それから人夫にむかって、
「もういいから、そこへ置いていってくれ。使い賃は、いますぐ事務所でもらってやるから。」
そばにいた農家の青年のひとりに、人夫を案内して事務所へいかせた。それからもうひとりの青年に、
「おまえはこれをかついで、平賀さんのお供をして甘蔗園までいってきてくれ。」
「ヘぇ。」
命ぜられた青年は、すぐに包みをかつぎあげた。
「じやあいってくる。夕方までには帰るから。」
「へい、いってらっしやいませ。」
力三はもう一度、ていねいに礼をした。
甘蔗園に着いてみると、玄丈は例の殺風景(さっぷうけい)な砂糖工場で甘蔗しぼりにふけっていた。源内の姿を見ると、
「おお平賀さま、お帰りなさいましたか!」
うれしそうにそばへ飛んできた。
「ああ、さきほど帰り着いたよ。あいかわらず精が出るね。−−ところでこれは、きみへの約束のおみやげだ。」
源内は青年に合(あ)い図(ず)して、包みを玄丈の前におろさせた。
「なんでしょう?」
「あけてごらん。」
玄丈はなわをといた。包んであるむしろをはずして、中身をひと目見るなり、
「ああ、甘蔗っ!」−173−
家じゅうにひびき渡る大声で叫んだ。
「しかも、琉球じき渡りの最優秀晶だ。」
「すばらしいです。これはたいへんな品物だ!」
うれしさに顔しゆうをほころばせて、玄丈はいった。
「どうだ、これでいい砂糖ができるだろう?」
「できますとも! 来年は絶対です!」
源内はいすがわりに置いてある切り株に腰をおろした。玄支は地面にすわりこみ、甘蔗の一株一株を、くりかえし点検している。
「ところで……どうだ、お宅もみなさんお元気か?」
源内がたずねた。すると玄丈は、突然に、握っていた甘蔗の株をぽろりと落とした。
「どうしたのだ、池口?」
源内は玄丈の顔をのぞきこんだ。
「平賀さん、すみません!」
さけぶと、玄丈はわっと声をあげて泣いて、源内のひざもとへつっぷした。
「ゆきが、ゆきが……。」
「ゆきさんが、どうしたのだ?」
「ゆきが……死にました。」
玄丈は、あえぎながらいった。
「なに、なんだって!」
あまりの意外さに、源内は大声をあげたが、すこしも実感がなかった。まるで玄丈が、悪いじょうだんをいっているようであった。
「ゆきさんが、どうしたというのだ?」
源内は聞きかえした。
「はい……。医者の家でありながら、まことに申しわけのないことですが……この夏、このあたりには悪い疫病がはやったのです。それで、往診するうちに兄が感染してきまして……、でも患者が多いので、むりをしておしていますうちに、ゆきにうつったのです。−−兄はどうやら直りましたが、ゆきが、とうとう……。」
「…………」
源内は、呆然(ぼうぜん)とした。長崎にいた一年間も、玄丈やゆきのことを思わね日は一日もなかった。−174−
高松へ帰ったら、ゆきさんをお嫁にもらって、それから西尾ご家老に煩んで、江戸藩邸づめにしてもらって……それが、たったさきほどまで見ていた源内の夢だったのに−−。
「申しわけありません!」
玄丈は、ゆきの死んだのが自分の責任であるかのように、甘蔗の束の上に泣き伏している。その束をかづいてきた青年は、そっと席をはずした。
「むごいことを……。」
ぽつりとひとこと、源内はつぶやいた。ゆきに対して運命がむごいというのか、それとも源内自身に対して、それはあまりにもむごいことだというのか……、おそらくはその両方だったのだろう。
「でも……、なぜ知らせてくれなかったのだ?」
しばらくして、源内がいった。
「これが手紙に書けましょうか、平賀さん!」
玄丈は、いっそう大声で泣き伏した。
その翌日、源内と玄丈は、そろってゆぎの墓にもうでた。墓は甘蔗畑からさのみ遠くない、お花畑の一角にあった。
土まんじゆうはまだ新しくて、石塔は立っていなかった。ゆきは五、六字の戒名(かいみょう)にかわって、その下に眠っていた。
(ゆきさんも、さぞ生きていたかったろう−―。)
源内は思った。薄幸(はっこう)な佳人(かじん)の墓の前に、源内は花をささげながら、ぼたぼたとなみだを流した。
墓地にはゆきだけでなく、たくさんの新しい土まんじゆうが見られて、この夏流行したという疫病の惨禍(さんか)を物語っていた。(医学さえもっと発達していたら、きっとゆきさんは助かっただろう。いまさらなにをいっても、なにをしても、ゆきさんは帰ってこないけれど……しかしゆきさん、わたしはあなたの霊を慰めるためにも、一生を医学や薬学や、そのほかの学問の進歩にささげます。それがゆきさん、あなたを慰める……いや、わたしがわたし自身を慰める、たった一つしかない道なのです。)
手を合わせて、源内はゆきの霊にいった。それから、なおも続けた。
−175− (ゆきさん、あなたは死んでもわたしの妻です。わたしはあなたを愛しているし、あなたもわたしを愛してくれました。わたしには、ふたりの妻はいりません。ゆきさん、わたしは一生結婚しません。どうかわたしがいくまで、さびしくてもわたしを待っていてください!)
厳粛(げんしゅく)に、源内はゆきの霊前に誓(ちか)った。
玄丈とふたりで、たっぷりと水を花づつに満たして、源内は立ちあがった。
−−その警いのとおり、事実源内はそれから一度も結婚せずに一生を独身でとおしている。
ずっと後年の話だが、源内自身の最後もまた悲しいものであった。それはあまりにも時代を飛び離れて進みすぎた天才の悲劇だったが、源内は死ぬときにも、きっと美しくよそおったゆきが、微笑して迎えに立っている姿を見たことであろう。
しかし・…悲しみは永久のものだけれど、人間には、やはり日常というものがある。悲しみの中にも、源内には日常とは仕事であり、勉強であった。
源内にはもはや、高松にはまったく未練(みれん)を持つべき対象がなかった。長崎で目を開かれた学問を大成させるためには、どうしても江戸へ出なければならなかった。
源内はしかし、そのために高松での仕事をおこたるということはしなかった。それはそれでりっぱに育ててからたちたかった。 玄丈を一目も早く、自分の完全な後継者に成長させるために、源内は指導を惜しまなかった。それに答えて、誠実な玄丈は一心不乱に勉強した。
翌年−−宝暦4年のさくらが咲いたころには、玄丈もすでに讃岐では一流の薬草学者として知られるようになっていた。
(ことしこそ、おれは江戸へ出よう!)
源内は決意していた。
(しかしもはや、江戸藩邸への転勤を願うなどと、あまい考えをおれは持たないのだ!)
ゆきがいっしょでないのだから、つまり、ひとりきりなのだから、源内はなにをしてでも自分ひとりの生活をささえていく自信があった。−176−
しかし、志度には病身がちの母と、高齢の祖母と、まだわかい妹がいる。それでも里写はもう十四歳になっているが、まだ一家をささえていく力はない。封建の世の中では『家』というものはたいせつだった。長男であり、いまは家長である源内が、かってに江戸に出たいとすれば、なんとかそのあとで、『家』の成り立つ道を考えねばならない。
春がたけていくある日、源内は4、5日の休みをもらって、志度へ帰った。
(自分が藩をやめて江戸へたったあとで、平賀の家を立て、母や祖母や里与の生活を守るためには、どんな方法があるだろうか?)
志度への道でも、源内は、そればかり考えていた。
「まあ、あにさんですか。ようお帰りなさいました。」
里与が玄関に出迎えて、行儀よくいった。
「ああ、帰ったよ。みな元気か?」
「はい、おばばはんは、お寝になったきりですが、べつにお悪くもなりません。おたあはん(母)は、このごろお元気で、きょうも、ご用たしに出かけとられます。」
長崎へ出発するころの、むじやきなばかりだった里与にくらべると、人間がちがったかのように、おとなびている。
(そうだ、里与ももう十四歳になっている。子どもだと
思っていたが、すっかり、おとなになりかかっているのだ−−。)
源内は、新しい発見をしたように里与を見た。大柄な源内の妹だけあって、里写はからだも大きく、もう母よりも大きいかもしれない。
「おばばはんは寝たきりだし、おたあはんは弱いし……このごろは家のことは、里与がしとるのか?」
妹の顔を見直して、源内がたずねた。
「はい。でも毎日お裁縫(さいほう)やそのほかのおけいこに通うとりますけん、あれこれと、おたあはんにおせわをかけることはありますけんど、たいていわたしが……。」
「そうか、感心だなあ。」
そのとき、
「ごめんください。里写さんいますか?」
表からわかい元気のいい声がかかった。返事も待たずに、玄関(げんかん)の格子戸(こうしど)が遠慮なくあけられて、はたち前後の青年がはいってきた。
−177−
「ああ、これはあにさま。いつお帰りでしたか? ご壮健でなによりでしたね。」
源内を見て、にこにこ笑っであいさつした。
「おお、これは磯五郎さんか。大きうなったなあ。−−というてはすっかりおとななのに失礼だが……きみの家もみな元気か?」
「はい、みんな元気です。いつも、あにさんのおうわさをしております。りっぱな学者になられて、一族の名誉このうえもないと、父も母も喜んでおります。」
青年は、親戚(しんせき)の岡田磯五郎だった。源内の学者としての名声が一日ごとに高まるのが、どうやら磯五郎の家でも自慢の種であるらしかった。
「まああがって、ゆっくりしていきなさい。」
「はい、失礼します。」
磯五郎は、遠慮なく座敷にあがった。出迎えた里与は、親しそうに話しこんでいる。
「あっ、そういう方法もあった!」
源内はふと、なにかを思いついたようであった。ひとりごとをいってから、
「里与、宇治屋へ行ってくる。磯五郎さん、ゆっくり遊んでいきなさい。」
源内はいそいで表に出た。
宇治屋に着くと、渡辺伝左衛門は、おりよく在宅だった。
源内は書斎に通された。
「元気そうだが……こんどは志度で、すこしはゆっくりできるのかね。」
あいさつのあとで、伝左衛門はきげんよくいった。
「はあ、まあ四、五日は−−。」
「それはありがたい。ではまた仲間を集めて、句会でもやろうか。」
「そうですなあ、けっこうですなあ。−−ところで渡辺さん、しつは今回は、あなたにおりいってご相談がありまして……源内は、ひざを正した。
「ほう。ばかにあらたまって、なんだね? まあわたしにかなうことなら、どんな相談にでものるが……。」−178−
「はい。ぜひあんたのお力を、お借りせんことには……」
「話してごらんよ。まあ、聞かん先から、よろしいと返事しといてもかまわんがねえ。」
伝左衛門は笑った。桃吉(ももきち)といった子どものころもいまも、この男は源内からものをたのまれるのがうれしいのだ。
「はあ、じつは・…。」
といってから、源内は一瞬(いっしゅん)のまをおいた。
「わたしは……思いきって浪人(ろうにん)したいんです。浪人して江戸へ出たいんです。」
「なんやって!」
と、伝左衛門は目をまるくした。
「おまさん、本気かな。浪人したいとは……まさかしょうだんや、あるまいな。」
「本気です。長崎に留学しているあいだに、じっくりと考えつづけたことなんです。」
「ふうん。それはどういうわけだろう?」
伝左衛門も形をあらためて、源内にくわしい話をうながした。 源内は、自分が長崎で異国の船や文化を見て、日本と世界の現状を考えくらべたあげく、そのあまりにも大きな開きに衝撃(しょうげき)を愛けたいぎさつを語った。
そして、このあまりにも遅れている日本の学問や産業を世界の水準まで引き上げるためには、どうしても自分が江戸へ出て、このうえの研究をつづけるよりほかないと決意したしだいを、つつみかくすところなく率直(そっちょく)に述べた。
「それが、だれにでもできることなら、わたしはそのだれかにまかしておいてよい。しかし、ロはばったい申しぶんですが、わたしでないとできないと思うんです。」
「ふうむ。」
伝左衛門は腕を組んだ。
「あんたの気持ちは、ようわかります。わたしは賛成したい。」
しばらく考えて、
「けんと、浪人までせんでも、と……。」
「いや!」
源内は、激しくさえぎった。
−179−
「それが、そうではないんです。これからの学問の進歩は……特に西洋風の実証的(じっしょうてき)な科学の進歩は……一つの『藩』などといったせまい『わく』にこだわっていては、果(は)たされないんです。小さくとも日本全体を対象に考えませんと……。それから、いまひとつ・…。」
源内はうつむいたが、苦しげにゆがんだ顔をあげた。
「藩にいては……わたしは『足軽』です。足軽には足軽の知恵才覚(ちえさいかく)しか働きません。わたしには……その劣等感(れっとうかん)がつらい。学問のじやまになる。浪人すれば……大名も家老も本行も……対等です。学者として……わたしはそんな人たちを弟子にもできます。」
「ふうむ。」
伝左衛門はふたたび腕を組んで考えこんだ。しばらくして、こんどはからりとした表情で、きっばりした調子で、笑っていった。
「で、−−具体的に、わたしはなにを手つだえばいいのかな?」
「はい。−−いささかこすい、いささか卑怯(ひきょう)な手段を、わたしは考えついたんです。」
源内は、頭をかきながら、苦笑まじりに答えた。
「どんな手段か? どれほどこすいのか、鑑定(かんてい)させてもらおう。」
闊達(かったつ)な大商人である伝左衛門は、割り切ってしまうと明るかった。
「はい。しつは浪人というても、わたしは家督を里与にゆずって、隠居ということにしてもらいたいと思いついたのです。」
「なに、隠居−−?その若さでか。」
「はい。卑怯なようですが、おばばはんと母と里与の生活を、わたしは成り立つようにしておきたいのです。平賀の家は、里与に婚養子を迎えて……たとえば親戚の岡田磯五郎でも里与のむこにもらって、平賀家を継いでもらいたいのです。」
「なあんや。こすさというても、その程度のこすさか。」
伝左衛門は笑った。そして、
「いささか、難題ではあるが……。」
と、また考えこんだ。−180− 伝左衛門は宇治屋の主人であると同時に、このごろは藩命で、村役人を兼ねている。
源内は身分は足軽でも、いわば藩主直属の研究機関の研究委員であり、独特の立場である。その隠居にしても、里与に婿養子をもらって平賀家を継がせることにしても、藩のトップできまってしまうことだろう。
村役人などの関知しないことになるのではあろうが、しかしまた実情調査とかで、伝左衛門の答申がものをいうことがないともかぎらない。
そのうえ、伝左衛門は個人的には源内の最大の後援者であった。
「わたしとしましては……。」
源内がことばをつづけた。
「藩の役所のほうは、西尾ご家老や真田さまにおねがいしまして、ご諒解を得られるようにしたいのです。しかし、婿養子のことなどは、やはりあなたのお力をお借りしないと……。」
「それではやってみよう。」
伝左衛門がいった。
「わたしだって平賀の家は絶やしたくない。同時に、おまさんには十分勉強してもらいたい。となると、なるほどそれしか方法がない。岡田の家へはわたしが話そう。」
さっそくその日のうちに、伝左衛門は岡田家へ行った。話し合いの結果、磯五郎自身も両親も承知しましたという返事が、明くる日には届いた。
「わしもあわて者で、だいしなことをわすれていたが……ところで源内さんよ、かんじんの里与さんや母御や、おばばさんは、この話には賛成なんかね?」
岡田のほうの承諾(しょうだく)がきてから、伝左衛門は昔笑して源内にたずねた。
「いえ、まだです。わたしもあわて者で、思いつくとすぐ、あんたのところへ飛んでいったんです。」
「そりやいかん。早う相談してくれ。」
「はい−−。」
おばばさんは寝たきりなので、まず母から相談すると、
「さあ、まだすこし早いようではありますが……。」
首をかしげたが、けっして反対ではないと答えた。
−−なるほど、十四歳で結婚とは、現代の常識ではずいぶん早すぎるが、当時の習慣ではべつにめずらしい話でもなかった。−181−
かんじんの里与は、
「磯五郎さんをおむこさんになんて、わたしはいや。」
−−顔を赤らめて恥ずかしかったが、それは本心ではなかった。ほんとうは磯五郎を好きなのだし、また、尊敬している兄の大きなこころざしをとげさせてあげたいという気持ちが、里与には強くあった。
ほんのひとこと、ふたことの説得で、里与はうなずいた。
「きまったことは、早いほうがええ。それに親戚どうしやし、ベつにしたくもいらんし、衣服などはあとで作ったらええ。」
源内がせきたてて、渡辺伝左衛門夫妻を仲人に、結婚式はあれよあれよというまに、ほんの五、六日のうちにあげられてしまった。
「さあ、これでおちついた。磯五郎も里与も、わたしはすぐにも江戸に出るから、家のことはおまえたちに、しかと頼んだぞ。」
「承知しました。どうか心おきなく学問にはげんでください。」
磯五郎が、たのもしく答えた。源内の隠居が許されれば、磯五郎が亡父のあとをついで、志度のお蔵番になるのだ。
江戸へ出て、学問をさらに進めたい。ついては隠居して、家督(かとく)を妹の里与夫妻にゆずることをお許しねがいたいと、源内が真田彦兵衛を通して西尾縫殿(ぬい)に申し出ると、縫殿は、二、三日たってから、個人的には賛成である旨の返事をくれた。
「足軽の人事に、殿さまおしきしきのおさしずを仰くというのは異例だが、源内は学者であって、特別の人間じゃ。後日のこともあるし、おりを見て殿さまのお耳にいれて、お許しをいただくことにする。しばらく待っておれ。」
人にはそれぞれの天分があって、源内を大学者にしあげるのは、大きな意味では、高松藩全体のためにもなることだと、縫殿は考えたのである。
−182−
許可はそれから数日たって、縫殿から彦兵衛を通して源内に来た。
「西尾どのが殿さまに申しあげると、お笑いになって、おもしろいやつじゃ、したいとおりにさせてやれ。家督は妹夫婦に継がせることを許す。源内自身にも、奨学資金(しょうがくしきん)として、これまでの給料をそのまま江戸藩邸において渡してやれ。−−そのように仰せられたそうじゃぞ。そのかわり、勉強だけはしっかりして、高松藩の名誉をあげるように、とのおことばであったそうだ。」
真田彦兵衛は、感激して告げた。
「ありがとうございます。おそれ多いことです。」
源内は、緊張(きんちょう)して礼をいった。
「隠居などと申しても、また形式上はそのようになっても、源内はあくまで余のだいじな家臣じゃ。殿さまはそうおっしやったそうだ。がんばってくれよ、源内。」
彦兵衛はいった。なき大殿のご遺志(ごいし)とはいえ、少年の日から目をかけて、陰に陽に引き立ててきた彦兵衛としては、源内の再出発はうれしくもあり、またかれが郷里を去ってしまうことは、さびしくもあるのだろう。もうだいぶ白いものが目たってきた頭を伏せて、しんみりといった。
「はい、がんばります。きっと偉い学者になって、みなさまのご恩にむくいます。」
源内も、目になみだを浮かべて答えた。
しかし、薬園の中の宿舎に帰って、夜ふけまでひとりで引きあげのかたづけをするうちに、源内は自分のしていることが、なんだかそらおそろしくなってきた。なにかばくぜんとした不安(ふあん)と、不吉(ふきつ)な予感(よかん)が、源内の心をひたしてきた。
(こんなに幸運であって、いいのだろうか?)
(いや、こんなにわがままばかりいって、いいのだろうか?)(いやいや、こんなに自分かってに、自分のほしいものはなにもかも要求して、しかも自分からはなに一つ犠牲をはらわないで−−ほんとうにいいのだろうか?)
考えてみると、家督を磯五郎にゆずるということは、平賀家はこれまでの俸禄はそのままもらうということであった。しかも自分は江戸で、同額の俸禄を『奨学資金』の意味でちょうだいする!−183−
それは俸給の二重取りにひとしかった。
隠居して−−浪人したと自分では思っても、頼恭(よりたか)は従来どおり自分のだいじな家臣であるといっている。それは、高松藩士としての特権(とっけん)を、これまでどおり行使するのを許すということで、頼恭のたいへんな愛情ということができる。
(おれはあまえている。おれは……こんなにいっさいの好遇にあまえきって、しかも自分ではなに一つ損をせずにいて、いいのだろうか−−?)
源内には、なにかその裏側で、自分のかって気ままに対する運命の神の報復が、待ち受けているような気がした。
不安になり、えたいの知れない恐怖感(きょうふかん)が襲(おそ)って、その夜、源内は眠れなかった。
しかし−−事実源内は、ずっとあとになって、そのことによる絶望的な報(むくい)いを受けるのだが−−そのときにかぎっていえば、それはその夜ふけだけの孤独な感傷にすぎなかった。
夜が明けると、お祝いを述べる玄丈や中間たちや、多くの親しい農家の手つだいの青年たちに囲まれて、源内はそのことは忘れてしまった。
源内の行動は、例によって迅速(じんそく)であった。宿舎の荷物をすぐ取りまとめて、志度へ送るものは送り、江戸へ持っていくものは船宿に回した。本や研究資料などは、ほとんど全部玄丈に贈(おく)った。
しばらくの別れに志度に帰ると、渡辺伝左衛門が、ちょうど浪華に用事があるというので、同行することにきまった。加賀屋への荷物を積んだ船が、近日中に長崎からはいるので、その船で高松港から出発することにきまった。
「もうこの世では会えまいが、四方吉よ、偉うなってくれえのう。」
寝たっきりのおばばさんが、それでも半身を起こして、気丈に激励してくれた。
船の出る前日、源内は玄丈を連れて、薬園から甘蔗畑と、長いなじみの田園をくまなく見てまわった。−184−
もう初夏だった。浜名喜徳丸(となきとくれい)の命をかけた甘蔗が、微風に首を振りながら、青々と元気に育っていた。
郷里での最後の夜は、ゆきの思い出といっしょに、源内は玄丈の家ですごした。見送りに来た磯五郎と里与も、いっしょに一泊した。
朝早く起きてしたくをととのえると、一同は、玄丈もいっしょに港へいそいだ。
港には、もう伝左衛門とそのほか四、五人の志度の俳人とが来ていた。
「渡辺さんに誘われて、わたしたちも浪華から有馬の温泉まで旅行することにしました。浪華まで源内どのの見送りもできるし、にぎやかでいいでしょう。」
俳友(はいゆう)たちは口々にいった。
「そうですか、それはありがたい。」
源内は微笑して、もういつもの陽気な源内であった。
さまざまになごりを借しみながら、船は日の出と同時に、高松の港を出帆した。左手に玉藻城(たまもじょう)が龍宮(りゅうぐう)のように海に浮かんでいて美しい。
「ゆきさん、さあ江戸へいくんだ。わたしは一生あんたとふたりで、あんたに励まされて日本一の学者になるんだ。ゆきさん、わたしを守ってくださいよ。」
船ばたに立って、源内はつぶやいた。
源内の心の中では、ゆきはいまも生きつづけているのだ。いつまでも美しく、いつまでも微笑して、ゆきは源内の心の中で、源内にほほえみかけ、励まし、慰(なぐさ)めてくれているのだ。
そして、その心の片側では、すでに江戸での勉強への希望の火が、熱く大きく燃えたっていた。−−悲しみはあるげれど、希望もまた大きい船出なのであった。
手を振っている里与や磯五郎や玄丈の姿が豆つぶほどになって消え、やがて玉藻城も見えなくなると、伝左衛門たちは、車座になって句会を始めた。
風は順調で、船はたちまち沖に出てしまう。朝霧がこくて、岩瀬尾山も紫雲山も、すぐに一望の四国の山なみの中にとけこんでしまって、見えなくなった。
−185− 「やがて志度の沖でしょう。」
源内はいうと、旅の包みの中からまるい小さな一つの器械を取り出した。
「なんですか、それは?」
横から俳友たちがのぞきこむ。
「磁石(じしゃく)というて、方向を知る器械です。長崎で、オランダ人から手に入れたものです。」
源内は磁石の針と、すぐ目の前の岬とを見くらべていたが、
「ああ、あれは小豆島(しょうどしま)の間ガ鼻(かどがはな)で、真北になります。それだと志度はほぼ真南になるわけですよ。」
南北をさして静止した針を示していった。それから、
「桃源(とうげん)さん、わたしも一句できましたよ。」
伝左衛門に俳名で呼びかけると、笑いながら気立てを取り出し、短冊に一句をしたためて差し出した。
「なになに−−。」
と、伝左衛門は受け取って、
−−ふるさとを磁石に探(さぐ)る
霞(かすみ)かな 李山(りざん)
大きな声で読み上げた。李山は源内の俳号である。
「ははは、まさに蘭学著平賀源内にふさわしい、珍妙無類(ちんみょうむるい)の新俳諧(しんはいかい)じや!」
伝左衛門がおおげさにひざをたたいて感歎するしぐさがおかしいと、俳文たちは声をそろえて笑った。
−−帆げたが、ガタリと音を立てると、帆が向きをかえて、東南を目ざしていた船は、からだをゆすって、北東に鼻向(む)きをかえた。いよいよ瀬戸内海から浪華を目ざして撮磨灘(はりまなだ)にぬけ出るのだ。(おわり)
−186−