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北海道 一 周
デ ィ ジ・カ メ 旅 行 記
北海道で出会った人たち

 

北海道 一 周
デ ィ ジ・カ メ 旅 行 記



北海道で出会った人たち

 


■今野榮喜館長と前田晃氏(前田真三フォトギャラリー 拓真館) 6月14日


前田晃氏


拓真館ロビー

今野榮喜館長

 

 1974年(昭和49年)、私の勤務先に広報セクションが誕生し、マスコミ対応と併せて会社概要・カレンダー・社内報・映画ビデオ制作などを担当することになった。前田真三氏に初めてお目に掛かったのは、その頃だったから、あれからもう30年近い歳月が流れている。
 カレンダーに関しては、“美しい日本の自然”をテーマに前田氏の写真をお借りして12枚綴りで作製することが決まった。
写真選定の頃ともなると何度も丹渓に足を運んだ。
 たまたまその時の上司が、ニチメン時代の前田氏を存じ上げており、その部下と言うこともあってか、3年の長きにわたって本当に親身にご指導いただいた。いまでも懐かしく思い出される。


 こんなわけで、今回の北海道旅行の最重要訪問先として最初に地図にマークしたのがここ拓真館だった。
 大洗を夕便のフェリーで発つと、苫小牧着は翌日の午後1時半になるが、何となく中途半端で動きにくい。そこで、北海道第1日目の日程を「トマムの超高層ホテルに泊まるのみ」と決めて、お目当ての富良野・美瑛・美馬牛には翌日、ゆっくり入ることにした。

 拓真館を訪ねたのは正午を過ぎた頃だった。
 大規模な入れ替えを終えたばかりの館内をゆっくりと2巡、3巡して事務室のドアを叩く。「館長にお目にかかりたい」と訪問の主旨を告げた。
 幸い今野館長はご在席。今野館長も当時のことはよく覚えておられ、当時の資料(カレンダー)は、いまも残っているらしい。

 前田真三氏の思いで話が始まった。
 「前田先生から『最近は、写真を撮らせたら私より遙かに上手い若者は沢山います。しかし残念なことに、彼らは撮った写真の生かし方をご存じない。私は商社時代の経験がある。そのお陰で今日、こうして写真家としてやっていけるのです』と言った主旨のお話をよく伺いました」と話すと、今野館長は「先生のお考えのようですね。それに似た話はよくされていましたよ・・・」と当時に思いを馳せる。お互い話は尽きない。

 「そうだ、ご子息の晃氏がお母さんと一緒にお越しになっています。お会いになりませんか・・・」。
 一応は固辞するモノの、カミさんは大の前田晃ファーン。「ご迷惑でなければ・・・」。
 晃氏も当時のことをよく覚えておられ「K社ですね。私がまだ学生のころでしたが父からよく、お宅の会社の話を伺いましたよ」。
 カミさんが差し出した「拓真館物語」にサインをしながら、「お住まいは町田市ですか。今度、父の故郷の八王子で個展をやりますので、ぜひお越しになってください・・・」。
 お伺いして、既にに2時間近くが経ってしまっていた。
 「今日のこれからのご予定は?」。
 「吹上の湯に入って層雲峡です」。
 これを潮にお暇したが、前田真三氏に久々に再会したような、想い出に残る一日だった。


■“鷲の宿”の女将と、一緒に宿泊した人たち 6月19日


一期一会の夕食風景


夜の訪問者(夜のピント合わせは不可能?)

出発前、女将を囲んで記念撮影

朝の生け簀(朝だとピントピッタリ!)


 熊の湯では、たくさんの出逢いがありました。
 写真説明にも書いた通り、わが家のカミさんが地元の人から民宿「鷲の宿」を紹介され、お陰で素晴らしい料理にありついたわけですが、この話をもう少し詳しくお伝えします。
 ご主人と長男がオホーツクの海から取ってきたカニや貝などの海の幸を自前の生け簀から取り出して、その場で料理した女将自慢の料理でお腹が満腹になった頃から、宿の女将と、嫁ぎ先から里帰り中のお嬢さんを囲んで、宿泊者一同の楽しい会話が弾みました。
 最初の口火を切ったのは、わが家のカミさんでした。

お話:1 “鷲の宿”のPR担当
 熊の湯で「宿は決まってるの?」と声を掛けてくださった方は、実は、羅臼の方ではありませんでした。
 「この宿を紹介して下さった方が、『詳しい話は、今晩にでも女将からゆっくり聞いてください』とのことでしたが・・・」と切り出すと、
 「ああ、○○さんね。あの方は地元の方ではないのょ」。
 「たまたま北海道旅行中に「熊の湯」に入って羅臼が気に入り、毎年、何カ月間か羅臼に長逗留している・・・。一軒家を借りたいと言うんで紹介してあげたんだわ」。
 「ある日、『親戚が遊びに来るので貸布団屋さんを紹介して欲しい。民宿だからご存じかと・・・・』と尋ねて来られたんだわ」。
 「『2〜3日お泊まりになるだけでしょう?』と聞くと、『そうです』」。
 「『それじゃ、ウチのを使えば・・・』て、お貸ししたんだわ。そんなことがご縁でお付合がはじまっった」。
 「これがご縁で毎日、「鷲の宿」のPR担当ですね・・・・」。
 カミさんがちゃかすと、みんな大笑い。
 「こうして親身になってお客さんを紹介してくださるんだから、ありがたい話だね。----本当に・・・」。

お話:2 お嬢さんの6千円説
 そんな話が一段落した頃、たまたま嫁ぎ先から里帰り中のお嬢さんが、こんな話を切り出しました。
 「ウチの宿賃は、2食付きで5千500円でしょう。この値段では、逆にろくなモノしか食べさせないんじゃないかと思われないかと心配で・・・」。
 「娘の私が言うのもおかしいですが、ウチの母の料理は何処にも負けないと思います」。
 「そのことを知って貰うためにも『値段を6千円にすれば!』て母に頼むんだけど、聞いて貰えないんです」。
 今夜の客は、全員そろって夕食を腹一杯食べて大満足の連中ばかり。
 これだけのご馳走が付いて5千500円は確かに安い。全員がそう思っている。
 「そうだ、そうだ」とみんながそう相づちを打ち合っているその時・・・。

 「いいえ、私は、そうは思いません!」。
 突然、私がそう答えると、わが家のカミさんが絶句したような顔をして私を睨みつける。
 (何を言うの。アナタ! お嬢さんの仰る通りよ!)
 一瞬、間をおいて、頃合いを見計らいながら・・・・。
 「6千円でも安い! 6千500円にすれば、お客は間違いなく2倍になりますよ!」。
 カミさんの顔に笑顔が戻りました・・・・。
 お嬢さんがにっこりと笑ったことは、言うまでもありません。

お話:3 門前でUターンの話
 「ウチは見ての通り、あまり立派な民宿とは言えないでしょう」。
 どうやら、先ほどのお嬢さんの話題の続きらしい・・・。
 ある日、夕食で賑やかな時刻に、遅れて1台、車が入ってきた。
 しかし・・・。
 何だか車のなかで相談しているらしい。
 「この娘が、『あの車も、きっとUターンするわょ!』って言うんです」。
 すると、幹事さんらしい人が代表で一人出てきて、
 「予約させていただいた何の何右衛門ですが、実は、誠に申し訳ないが、本日の予約の話はなかったことにしていただきたい・・・・」。
 「こんな時は、(またか)、と思いながら、『いいですよ。分かりました』って返事するしかないですよね・・・」。
 代表役の幹事は、チラっと横目でお客の食卓を見つめながら車に戻って行く・・・。
 しばらく、また、車のなかで話し合っている様子。
 また、先ほどの幹事役が車から出てきて、
 「実は、いま改めてみんなで相談したんだが、せっかっく予約させていただいたことだし・・・。やはり泊めていただくことにしたい・・・」。

 「分かるなぁ わかる!」。
 「そのお客、食卓を覗いてビックリしたんだよ。きっと!」。
 「みんな凄い料理食べてるぞ って!」
 一同がまるでその時、食堂に居合わせたお客のように、異口同音に笑いながらうなずく。
 お嬢さんが、「それ、いつものことだよね。ウチは見かけが悪いから・・・」。

 「そろそろ改築の時期かな、って主人とも話し合っているんです・・・」。
 
お話:4 “鷲の宿”の由来
 「面倒なことが嫌いでね。鷲がよく遊びに来てくれていたので“鷲の宿”って名前にしたんですが・・・・」。女将が話しはじめました。
 「宿のすぐ横を川が流れているでしょう。----魚を目当てに時々、鷲がやってきていたんです。それを見たあるカメラマンさんが、「餌付けしたらどうだろう」と川に生け簀を作って餌付けを初めてくださったんです」。
 「そうしたら鷲が頻繁に来てくれるようになりました」。
 「そうしているうちに、もっと珍しい鳥も来てくれるようになったんです・・・」。
 「そのカメラマンさんのお陰で、こうして今夜も写真好きのお客さん(今夜は絹谷さんお一人)がお越しくださっています。本当に皆様のおかげと主人共々、感謝しているんです」。

お話:5 働き者の女将さん
 ご主人とご長男が漁に出かけるのは、深夜の1時。
 その時間に合わせて、船に乗り組む漁師さん全員のお弁当作りが始まる。
 ご主人を送り出して3時間熟睡すると、今度は朝食の支度に掛かる。
 そして---。
 お客を送り出したあとの時間は、ご主人が漁で捕ってきた魚を乾燥し、真空パックした知床産地直送の乾物作り。
 ビニールの白い前掛けをして、大きな包丁を持って仕事をしている時にお客が来ると、ついついそのままの姿でお客さんの前に現れて、相手をびっくるさせることもしばしばとか。
 「睡眠時間は短いですよ! でも何とかやっています」。
 気さくで明るく、大変な働き者の“鷲の宿”の女将、川村千恵子さんである。


鷲の宿
目梨郡羅臼町共栄
電話:01538-7-2877


■伊里義紀さんご夫妻 6月20日


伊里夫人(左)と記念撮影

伊里さんから頂戴した酒杯

露天風呂から海は見えない・・・残念至極!

入りたいが足湯で我慢・・・静岡のお嬢さん


 昨日、「熊の湯」の露天風呂から上がって、「いい気分!」と濡れタオル片手に歩いていると、ほぼ同世代のご夫妻に出会いましました。
 「どんなお湯でしたか?」の質問に、「いいお湯でしたよ!」と答えたんです。

 そして今日。
 鷲の宿を出発した我々は、昨日とはうって変わり、紺碧の空に羅臼岳がくっきりとその姿を見せる中、北海道の最東端にある温泉「相泊温泉」を目指しました。
 小1時間走り、目的地の「相泊温泉」のサインボードのところで車を止めて、海岸を覗くと砂浜の中の露天風呂。
 先客がいます。「どうでしたか?」と聞くと、「いいお湯です!さっぱりするから是非、入っていらっしゃい!」。

 どちらからともなくお互いに「確か昨日、熊の湯でお会いした・・・・」。
 愛知県の瀬戸市からお越しの伊里さん夫妻も、ご主人が無事、ハッピーリタイアされての北海道旅行でした。

 4人の立ち話が始まりました。
 奥様は、昔の着物地で作った洒落た洋風の出で立ち。何でも仲のいいお友達が作ってくださったとか。
 「主人の仕事の関係で、休みの日でも電話が鳴ると“何かあったのでは”と心配で心配で。在職中は、心が安まることは滅多にありませんでした・・・」。
 「私ね、主人が定年退職してからは“ちっちゃな幸せだけど、こんなに幸せでいいんだろうか”って日記に書く日が多いんですょ」。

 「同僚がみんな、『まだ家でゆっくりする歳でもないだろう。もう少し働けょ!』と説得してくれたんですが、『俺はヒトの2倍も3倍も働いたので、仕事で思い残すことはない』と、待ち望んでいた悠々自適の生活を選んだんです。後輩達にも、『お前達も働ける間は2倍も3倍も働いて、60才になったら第2の人生を楽しむようにしろ!』、って・・・」。
 私も、60才からの第2の人生を大いにエンジョイしようと思っている輩だけに、大いに意気投合です。

 話の途中、伊里さんが突然、車のトランクを開け、何か捜し物。
 両手に持った酒杯を私に差し出します。
 「これも何かのご縁。瀬戸の焼き物ですが、記念にお受け取りいただけますか・・・」。
 さすが瀬戸の方がお選びになっただけあって、さかずきの形といい、脚の形といい、絶妙の一品。
 二つの酒杯がふれあうと、チ〜ンと澄んだいい音がします。この音も凄い。
 とても「ハイ、いただきます!」と簡単に頂戴出きる代物ではありません。
 カミさんと私はお互いに顔を見合わせて、何てお礼を言えばいいのか・・・。

 伊里ご夫妻とお別れした車中、カミさん曰く「もう一度、北海道のどこかでお逢いしたいわね!」。
 熊の湯・羅臼・相泊温泉は、私たちには想い出深い地になりました。


■ホテルTAITOの和田オーナーと東京のお嬢さん達 6月21日


ホテルTAITOの和田オーナー自らが案内役

湿地帯を長靴で歩くと足がズブと沈む

間近に見る川の様子は興味津々

ご一緒した東京のお嬢さん達
釧路湿原の写真は、旅行記第10日(6月21日)にも掲載しました。併せてご参照ください。

 湿原歩きが大好きな私にとって釧路湿原は興味津々の特別な場所。
 是非、1〜2泊してじっくり探索したいと考えていましが、初めての土地をいざ自分の足で探索するとなると、ビジターセンター周辺の散策道(木道)を歩く程度で終わってしまいそうな気がし、何とか妙案はないものかと模索していました。
 そんな頃、1冊の本に出会いました。

 「てくてく歩き(1)北海道」(ブルーガイド)です。
 サブタイトルは、「気ままに電車とバスの旅」。
 自分の足で歩く人たち向けの参考書で、本屋で立ち読みすると「ここは徒歩では無理。しかし一見の価値がある。バスかタクシーで行くといいよ!」といった記述があちらこちらに散見されました。
 待てよ。この部分を「車で移動する人は、絶対に見逃しちゃダメだよ!」と読み替えればいいんだな・・・。
 早速、購入し読んでみると、解説が的確、要を得て簡素、大きな地図が添付されていて切り離して利用できる、地図と本との関連づけが絶妙で使いやすいなど、車で移動する我々には大変に便利。
 計画段階から旅行の最後まで付録の地図共々、大いに役だってくれました。

 実はこの本が、今回の釧路湿原自然探索の発端になったんです!
 釧路湿原のページを開いてみると、湿原を取り巻く観光の要所(温根内<-->湿原展望台<-->釧路駅<-->釧路湿原<-->細岡<-->塘路<-->萱沼)が、ぐる〜と円を描き、その中心には“宮島岬”と“キラコタン岬”の文字。
 そんなイラストで始まっていました。

 「なるほど釧路湿原では、必ず“宮島岬”と“キラコタン岬”へ足を伸ばさなきゃ駄目ってことだ!」。
 さらに読み進むと、“宮島岬”と“キラコタン岬”に入るには、特別の許可が必要で、ホテルTAITOのオプションツアーを利用して和田オーナーに案内いただくのが一番いい方法であることも分かってきました。

 そんなわけで、釧路での第1泊は、鶴居村のホテルTAITOに決めました。
 ホテルに着き、チェックインを済ませ、まずはホテル自慢の天然露天風呂で疲れをいやした後、和田正宏オーナーに明日の自然探索の参加をお願いしました。
 「承知しました。.
明朝5時にフロントに集合してください。所要時間は4時間半です・・・・」。

 翌朝、5時にフロントに集まったのは、私たち夫婦と、東京からお越しのお嬢さん、高本望さんと黒田明美さんの計4名です。
 みんなそれぞれの雨支度で準備万端。
 「あいにくの雨ですが、それでも皆さん、行きますか?」
 オーナーの問い掛けに、期せずして「ハイ。行きます!」の大合唱。
 外は雨模様と言うのに参加者全員の志気は高い!
 定刻通りワゴン車で出発しました。

 朝靄の中で最初に出会ったのは、○○○○種の馬。
 我々の車にすり寄ってきました。肩の筋肉が逞しい。
 「この馬は、輸入馬です。力持ちで好奇心は旺盛。開拓時代に大活躍してくれました」。

 次に出会ったのは、まだ茶色い産毛のままの2羽の子供を連れた丹頂鶴の親子連れ。
 母親は2羽の子供を見守り、父親は周囲の警戒を怠らない・・・。
 子供達は、何か餌をついばんでいる。
 牧場に積み上げた牛糞で育つミミズが大好物らしく、何となく牧場に住み着いている。
 「ですから牧場の人たちは、ウチの丹頂鶴、って呼んでいますよ」。

 やがて車は未舗装の道に入り、さらにしばらく走る。
 「ここから先、車は入れません」。
 幸いに雨は小降り。準備してくれた長靴に履き替える。
 男性軍2人はウインドブレーカーのまま、女性軍は持参した傘を広げる。
 なだらかな灌木の間を登り下りながら、オーナーは、時々熊除けの呼び子を鳴らす。
 「道の右側(山側)の樹木と左側(谷川)の樹木が違うのにお気づきですか?」、
 「釧路湿原の誕生は、6千年ぐらい前に遡るんだそうです」、
 「当時、この辺りは海岸線だったらしい・・・」、
 「ですから、この辺りからは、古代人の縦穴住居跡や貝塚が沢山見つかっています」。
 歩きながらオーナーの説明が続く。

 灌木の林を抜けると、急に視界が開ける。
 なだらかな湿原の先に蛇行する川が見えた!
 何しろオーナーは、写真家。
 それぞれがカメラを預けて、記念撮影をお願いする。

 また林に入る。
 今度は、先ほどの蛇行する川をやや高い位置から観察する。
 写真を撮り、そしてまた歩く。
 再び湿原に出る。
 これだから湿原歩きは楽しい!

 「私の跡を付いてきてください!」
 このページの4枚組写真の通り、踏み入れた足が4〜5cm沈む。
 何とも言えない感覚にしびれる。
 そこを抜けると小さな池が現れた。
 水面の下、あちらこちらに丸い黒い影。「あれがヤチです・・・」。

 山よりの岸辺から清水が湧き出している。
 その水を汲んでお湯を沸かし、本格的なドリップルのコーヒーを点ててくれる間、みんな童心に返ったように池のあちらこちらを歩き回る。
 やがてお湯が沸きコーヒーが振る舞われる。
 都会人のコーヒー好きには、最高のプレゼントだ。
 また、記念写真を撮る。

 ここでUターン。
 帰路は、帰路でまた趣が異なる。
 灌木の林が近づく・・・。
 蛇行する川も、本物の湿原も、ここで見納め。
 後ろを振り返り「今度は、秋、来るぞ!」と心に決める。

 素晴らしいプランを作ってくださった和田オーナー。
 湿原の中、時には立ち止まり感想を語り合った高本さん・黒田さん。
 “長靴を履いた4時間半のんびり湿原行”は、本当に楽しかった。
 皆さん、本当にありがとうございました。
  
 翌日は、カミさんの親戚、榛沢牧場の皆さんに釧路湿原展望台、北斗展望台、コッタロ展望台、塘路湖、細岡展望台などを車で案内していただいた。
 2日間にわたる釧路湿原の探訪に満喫し、次なる目的地に旅立った。

ホテルTAITO(鶴居町)
電話:0154-64-3111
http://www5.ocn.ne.jp/~taito/
自然探索ツアー参加費:5000円(宿泊者のみ参加可)

【雑記】旅行から帰って1カ月が過ぎようとする頃、Boock Off に立ち寄り、道東が舞台になった
    推理小説(1冊100円の単行本!)を7〜8冊、買い込んで来ました。いまその中の1冊、
    「愛の伝説・釧路湿原」(西村京太郎)を読み終えたところです。
    「十津川警部が最後に泊まったホテル、もしかしてホテルTAITOなの?」 そんな勝手な
    ことを考えながら、楽しかった日々をもう一度、疑似体験させてもらうのも、なかなか
    オツなものです。(H14.7.29)



■ 榛沢牧場の榛沢保彦さんご一家 6月21日〜22日


放し飼いの牛たち

牛舎の中を見学

初孫を抱く榛沢さん

湿原で記念写真

 前項の釧路湿原自然探索を終えた我々は、ホテルTAITOで遅い朝食を済ませると、その足で釧路市内のカミさんの親戚である榛沢牧場主・榛沢さんご一家を訪問した。
 わが家のカミさんが、まだ学生だった頃に一度、おじゃまして以来だが、山花地区の風景は殆ど変わってはいないらしい。カーナビを頼りに探すと、すぐに見つかった。

 昨年(H13)の夏休み、わが家の息子が半月近くおじゃました。
 「おじちゃん、これからの牧場経営に付いていろいろ真剣に考えていた・・・」。
 「飼料、一つを例にとっても、お豆腐の絞りかすのオカラを釧路市内のお豆腐やさんから集めて牛に食べさしている。−−−それも20年も昔からだそうだよ!」。
 「最近は、ポテトチップスの皮もだって・・・。」
等々、見聞きしたいろいろ土産話を話してくれた。

 いまにして思えば息子がおじゃました頃は、例のBSE(狂牛病)問題も発生しておらず、きわめて平和な時代だった。−−−その後の1年は、降って湧いたようなBSE騒ぎ、北海道の牧場経営者にとっては、まさに受難の1年だっただけに、「お伺いするのに気が引けなかったったか?」と聞かれれば「うん」と答えたくなる気持ちもゼロではない。

 北海道に着いた時、「いま、苫小牧!」と連絡したモノの・・・。
 「いつ来るの?」には、「多分、20日過ぎだと思います・・・」と、自由気ままに予約ゼロの旅を楽しんでいました。
 携帯電話で「いま、どこ? いつ来るの?」と2〜3日毎に連絡いただくいても「多分、20日過ぎだと思います・・・」の返事は変わりませんでした。
 ですから皆さん、首を長くし準備万端整えて我々の到着を待っていてくれました。

 「温泉好きだって・・・。じゃ、近くの温泉センター(公営)に行こう!」。
 6千年前は海だったこの辺り、掘ればいい塩泉が湧く。
 車での往き帰り、温泉に浸かりながら、榛沢さんが、牧場経営の難しさをいろいろと話してくれた。
 「何しろ農協が潰れる時代だから・・・」。
 「若手に危機意識があっても、幹部連中は『農協が潰れるはずがない』と、親方日の丸だった」。
 「もしものことがあっても、簿価○○億の山もある・・・」。
 「簿価○○億の山に、本当に資産価値があると潰れるまで信じていたんだね」。
 「元はと言えばウチの先代達が艱難辛苦で開拓した山を農協に寄付したんです。それをすっかり忘れて、逆にあてにしていたんですよ・・・」。

 夕食は、榛沢家自慢のステーキ。
 息子から聞いてはいたが美味い!
 ぺろりと2枚平らげる。
 食事が一段落した頃、奥さんが新聞を取りだした。
 「お父さんが載ってるの!」。

 H14.6.10付けの北海道新聞(2面)。
 見出しは「e−びーふ1号認定/環境リサイクル肉牛協/釧路の農家の30頭」。

「道内の生産農家や研究者などで構成する「環境リサイクル肉牛協議会」(会長=佐久・帯広畜産大教授)は、国産飼料の使用比率を高めた肉牛を独自に認定する「e−びーふ」の第1号に釧路市の畜産農家の肉牛を選び、9日、十勝管内新得町の道立畜産試験場で認証式を行った」(記事の一部を抜粋・引用)

記事は、こんな書き出しで始まっています。そして、
・「e−びーふ」は、エコロジー(環境保護)とエコノミー(経済性)から命名
・国産飼料90%以上の基準をクリアーした肉牛が対象
・今回の榛沢さんの肉牛30頭が初の認定牛
・肥育段階では市販の配合飼料は使わず、これまで廃棄されていたイモの皮や豆乳カスを使い、国産飼料使用率100%を達成した
・認定牛は7月には「e−びーふ」のラベルを付け市場に出回る
・「本来なら当たり前のことだが、こうした輪が広がって欲しい」との榛沢さんの談話
等々が書かれてました。

 H14.6.20付けの北海道新聞(北海道経済面)にも、「この人この話題/釧路市内の農業/榛沢保彦さん」として登場していました(一部を抜粋し引用)

−−18年前からオカラをえさに・・・。
「いまは、農場内で自作する飼料や、でんぷん工場から出るかすなども・・。昨年のBSE発生を機に、全頭同じ飼い方にしました」
−−採算性は?
「確かに環境には優しいが、価格競争力のある安い肉を生産できるわけではありません。認定牛も少なく販売コストを考えれば参加する農家がもっと増えて欲しい」

 新聞を読みながら、榛沢さんとの先程来の話を思い出していました。
 「私の場合は、途中から家業を引き継ぎ、いわば、ずぶの素人が畜産農家を始めたわけですが、かえってその方が良かっのかもしれません」。
 「なまじ先入観があると、どうしても従来からの慣習に捕らわれてしまい、新しい技術や考え方を受け入れられなかったかもしれません・・・」。

 家族は奥さんの恵美子夫人(カミさんの親戚)と、3男1女。
 男どもは親に似たのか独立心が旺盛で、一人は台湾。 一人は海外青年協力隊でバングラディシュ、もう一人は瀬戸市で焼き物の修行中。
 唯一、帯広に嫁いだ末娘のお嬢さんの啓江さんが、友人の結婚式で里帰り。
 彼女は、大のコーヒー好き。カップが空になる頃には、新しく点てたコーヒーを注いでくれました。
 夜遅くまで奥さんの出里の新潟の話や、北海道の話、息子自慢などなど、楽しい会話が続きました。

 翌日、釧路湿原を榛沢さん、恵美子さんの妹にあたる佐藤美砂江さんの2人掛かりで案内してくださいました。
 おそらく国立公園最後の指定地になると思われる釧路湿原。−−その釧路湿原と人間の関わり、開拓時代から今日までの開拓の歴史や、国立公園指定のいきさつなど、時代順に詳しく整理して聞かせていただき、大変、勉強になりました。
 丹頂鶴の話になると、「わが家の裏(敷地内)の川にもよく来ます。今度、丹頂鶴の生殖地作りでもやってみるかな。テンやキタキツネなど雛の敵が入れないように工夫して・・・」と、まんざらいま思いついたばかりの話でもなさそうな様子。

 別れ際に「また、聡一郎くん(わが家の長男)を寄こしてください。免許も取ったことだし、友達と一緒にウチのどろんこ車で道内一周の無銭旅行でもやればいい・・・。なんたって若いんだから・・・」。
 「その節は、お言葉に甘えさせていただきます」
と返事して、皆さんとお別れしました。

 この項は、いわば番外編です。
 身内の話で恐縮ですが、北海道の畜産農家もいろいろ考え、頑張っていることを書かせていただきたいと思い、本欄に登場させていただきました。  

榛沢牧場(榛澤保彦)
084-0921 釧路市美濃 15-156
電話:0154-56-2408


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